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2009年03月 アーカイブ

2009年03月01日

霊力をビー玉程度の大きさに凝縮したもので

文珠
霊力をビー玉程度の大きさに凝縮したもので、漢字一文字の念を込めることで様々な効果を起こす事ができる(例:「爆」「防」等)。ヒャクメは「力の方向を完全にコントロールする能力」、ワルキューレは「使い方によってはどんな魔族をも倒せる」と称した。また複数を組み合わせることでより強力な効果を生み出すこともでき、作中では14個の同時使用で時間移動まで成し遂げている。ただし、複数使用をする分、それをコントロールする霊能力が求められる為、誰でもたやすく出来るものではない。これを作り出せる人間は、作中では横島のみで(他には神・菅原道真)、彼の戦闘への貢献度を飛躍的に上昇させたが、作成するのに時間が掛かる為、連続使用をするとストックがすぐなくなってしまう。
また、アシュタロス戦の終盤ではルシオラの霊体が組み込まれた結果、「2文字を入力して使用する文珠(例:「飛・翔」「粉・砕」等)を生成。しかもこの文珠は一回使用しても消えず複数回使用が可能。普通の文珠とは段違いの力を発揮することが可能なようで、最強のアシュタロスに傷を負わせることが出来た(もっとも力の差が大きすぎてかすり傷のようなものですらなかったが)。しかしこの文珠は一時的な副作用による産物の為かアシュタロス戦以降作中では姿を現すことはなかった。
ネクロマンサーの笛
死霊などの霊体(場合によっては触手等の武器)を操ることができる笛。ネクロマンサー(死霊使い)としての才能がなければ音さえ出ない。作中ではおキヌ以外にはほとんど使用されない。
宇宙処理装置(コスモプロセッサ)
アシュタロスの造り出した装置。アシュタロスの造り出した実験用の小宇宙(一種の亜空間であり、その世界が一つの宇宙として成立している装置)を多数含んでおり、それを利用して、その様々な形に成長した小宇宙の中から個体を選び、現実に呼び出すことができる(そのため、悪魔ナイトメアなどは、その体や魂は破壊され現実にはなかったため問題はないが、吸血鬼ブラドーなどは、本物と宇宙処理装置による偽者の2体が同時に存在していたことになる)。また、実験用の小宇宙のときからの特性を受け継ぎ、その小宇宙の中に入ることもできる。究極の魔体はこれを利用し、相手からの攻撃の全てを、別の空間に送ることができるようになっている。このことは、作者サイトでも語られている。
他、多数。

サブタイトル

美神除霊事務所出動せよ!!
オフィスビルを除霊せよ!!
女子校大パニック!!
狼たちの死後!!
極楽宇宙大作戦!!
呪いの人形帝国!!
海よりの使者!!
幽霊潜水艦を追え!!
三つの願い攻防戦!!
ゴーストスイーパー六道冥子登場!!
ドクター・カオスの挑戦!!
マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ!!
愛に時間を!! (その1)~(その4)
電子の要塞かいしんのいちげき!!
サイキック・パワー売ります!!
式神を捜せ…!!
上を向いて歩こう!! (その1)~(その3)
おキヌちゃんのクリスマス!!
霊列車でいこう!!
極楽愚連隊、西へ!! (その1)~(その4)
縮みゆく美神!!
燃えよ剣!!     
プロポーズ大作戦!!
ドラゴンへの道!! (その1)~(その5)
ブラインド・デート!!
マネキンが招く!!     
教室漂流!! (その1)~(その3)
魔女たちの集い!!
何かが道をやってくる!! (その1)~(その7)
天駆けるホーキ!!
ストップ・ザ・シーズン・イン・ザ・サマー!!
機械じかけの愛が止まらない!! (その1)~(その2)
庭球霊ファイナル・ステージ!!
父帰る!! (その1)~(その3)
夢の中へ!! (その1)~(その4)
ツキは沈みぬ!!
飛び出せ貧困! 青春の給料日!!
プリンス・オブ・ドラゴン!! (その1)~(その5)
カモナ・マイ・ヘルハウス!!
サンタが街にやって来る!!
バトルロイヤル初もうで!!
雪の女王!!
受験生ブルース!!
超神合体ヨコシマン!! (その1)~(その4)
チョコ人間第1号!!
鋼鉄の姉妹!! (その1)~(その3)
サウンド・オブ・サイレンス!!
虎よ、虎よ!! (その1)~(その5)
フィルムは生きている!!
野菜の人!!
誰が為に鐘は鳴る!! (その1)~(完結編)*20話で完結
ただいま修行中!!
高校生日記!!
眺めのいい部屋!!
母からの伝言!! (その1)~(その6)
犬も歩けば!!
式神デスマッチ!! (その1)~(その3)
ミクロイドGS!!
スキー天国!!
Vの悲劇!!
香港編<1>顔におぼえあり!!
香港編<2>敵は香港にあり!!
香港編<3>風水盤の謎!!
香港編<4>美神絶体絶命!!
香港編<5>虎口への突入!!
香港編<6>男たちの挽歌!!
香港編<7>走れ、横島!!
香港編<8>栄光の手!!
香港編<9>バトン・タッチ!!
香港編<10>燃えよ、ドラゴン!!
香港編<11>大乱戦!!
香港編<12>総力戦!!
香港編<13>決戦! GSチーム!!
香港編<14>形勢逆転!!
香港編<15>チェックメイト!!
香港編<16>劇終!!
香港編<番外>香港の休日!!
(左列の続き)
石は無慈悲な夜の女王!!
原始幽霊現る!!
南海の歌合戦!!
グレート・レース!!
ムシよさらば!!
ヘルシングちゃんの逆襲!! (その1)~(その2)
はるかなる猫の呼び声!! (その1)~(その3)
仮面の女!!
死神なんか怖くない!!
GS六道冥子・極楽大作戦!! (その1)~(その3)
ドヒョー・オブ・ドリームス!!
ある日どこかで!! (その1)~(その8)
嵐を呼ぶ男!! (その1)~(その5)
清く貧しく美しく!! (その1)~(その4)
バトル・ウィズ・ウルブス!! (その1)~(その9)
売り逃げ大作戦!!
ゲームの達人!!
犬を追う!!
犬には向かない職業!! (その1)~(その3)
ピンチでデート!!
スリーピング・ビューティー!! (その1)~(その11)
今、そこにある危機!! (その1)~(その11)
デッド・ゾーン!! (その1)~(その10)
スタンド・バイ・ミー!! (その1)~(その5)
サバイバルの館!! (その1)~(その6)
バッド・ガールズ!! (その1)~(その9)
私を月まで連れてって!! (その1)~(その9)
心の旅!!
魔法の鉄人!! (その1)~(その3)
遊びの時間は終わらない!! (その1)~(その2)
サバイバル合コン!! (その1)~(その2)
くさずり ピーエ ヒロイ 翼を広げて ソーセージ ピータ シプレ ハサップ オット ラビア ジョイ サザンカ 建久お スノー ロシア スマク ハッピー フレイン さけかす ストリーム ドザーサイ グアム 白龍支 イーシー ソート ティング マシンガン コンタ レンズ プリクラ くす最新 ジャス ヤマイモ ワンパタハ 空の庭 ビックス フリーフ フレーム タグトゥ ライダー キネシス テキサ らくがん イーユー マイア バチカン フォトレ ディナー いしけんご ハクビ

わが青春の宝船!!
Gの恐怖!! (その1)~(その2)
遊びの時間、ふたたび!!
バレンタインデーの惨劇!! (その1)~(その2)
私の人形は良い人形!!
暗殺のソロ!! (その1)~(その5)
ストレンジャー・ザン・パラダイス!! (その1)~(その4)
風と共に去りぬ!!
最後の妖精!!
精霊のささやき!!
紙の砦!! (その1)~(その2)
絶海絶命!! (その1)~(その2)
グレート・マザー襲来!! (その1)~(その4)
仁義なき戦い!! (その1)~(その5)
続・仁義なき戦い!! (その1)~(その3)
その後の仁義なき戦い!! (その1)~(その2)
仁義なき戦い・超常作戦!! (その1)~(その3)
ワン・フロム・ザ・ハート!! (その1)~(その3)
ザ・ライト・スタッフ!! (その1)~(その4)
激突!! (その1)~(その2)
そして船は行く!! (その1)~(その2)
GSの一番長い日!! (その1)~(その9)
甘い生活!! (その1)~(その5)
疑惑の影!! (その1)~(その3)
ジャッジメント・デイ!! (その1)~(その20)
エピローグ:長いお別れ  
ファイヤースターター(その1)~(その2)
ドリアン・グレイの肖像!! (その1)~(その2)
賢者の贈り物!!
フォクシー・ガール!! (その1)~(その2)
マイ・フェア・レディー!!
ザ・ショウ・ゴーズ・オン!! (その1)~(その2)
沈黙しない羊たち!!
白き狼と白き狐!! (その1)~(その4)
GS美神'78!! (その1)~(その9)
呪い好きサンダーロード!! (その1)~(その2)
守ってあげたい!! (その1)~(その2)
もし星が神ならば!! (その1)~(その2)
史上最大の臨海学校!! (その1)~(その2)
マジカル・ミステリーツアー!! (その1)~(その2)
キツネの変奏曲!! (その1)~(その2)
地上より永遠に!!

2009年03月16日

大辺路(おおへち)

大辺路(おおへち)は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へ通じる参詣道・熊野古道のひとつ。

大辺路は、田辺から那智勝浦を結ぶ海辺の道である。他の熊野古道のルートと同じく、途上に厳しい峠道が控えており、富田坂(とんだざか)、仏坂、長井坂などが知られている。これらの峠道は、近代以降の市街化や道路開発を免れた部分が残されており、旧状が比較的よく保たれている。しかし、こうした部分はむしろ例外である。大半の道は、市街地や国道に吸収されており、遺されているのは沿道の寺社や碑柱のような遺構が主である。

大辺路の北端は、田辺市北新町にある道標(北新町道標)である。この道標には「左りくまの道」と大書される一方で、「すくハ大へち」(「すく」は「真っ直ぐ」の意)の記はごく小さく、中辺路がメインルートであったことが見てとれる。田辺市街地を抜けた道は富田川下流部沿いに続き、富田川と別れるとただちに最初の難所・富田坂を越え、日置川河畔にたどり着くが、すぐに仏坂が控えている。仏坂を越えてすさみ町側に入り、和深川を渡ると、そこから長井坂である。長井坂を越えて見老津に出てからは、旧道らしい道がまとまってある箇所はしばらく途絶え、断片的な残存箇所が続く。那智勝浦町に入って浦神峠を越えると、終点はもう近い。那智駅にほど近い熊野三所大神社にたどり着くと、振分石(ふりわけいし)と呼ばれる石柱に出会う。この石柱は、大辺路と伊勢路・中辺路の分岐を表すと言われており、大辺路はここに終わる。

難路であったことから、里道を利用したり、海路を経たり、河畔を歩いたりと、代替ルートや派生ルートが多く用いられたと考えられており、さらに消失による分断区間も多いことから、旧道の全容を正確に知ることは難しい。むしろ、一本の道という線としての捉え方よりも、田辺から那智勝浦を結ぶ交通の網ないし帯という広がりを捉える方がよいと考えられる。

紀伊山地南端のうち連なる山々を背に、前面に枯木灘や熊野灘の変化に富む海を望んで、優れた景観を目にすることが出来ることは大辺路の大きな魅力であろう。特に近世の文人墨客の中には、参詣の復路に大辺路をたどった人々がおり、彼らの旅行記を通して、大辺路の往時の姿を知ることが出来る。そこでは、温泉に立ち寄ったり、本地(現在の太地町)の沿岸捕鯨の様子に驚嘆しつつ、探勝を楽しんだ様子が伝えられており、信仰の道にのみにとどまらないルートであることが分かる。難路とはいえ、敢えて言ってみるなら、探勝の道としての明るさの備わった道である。
マンモ チンク クンツ きうい ゆうばり イタリティ スペーサー パーラー デモリ スカス タブレット リターン シーシー レーター ロマンス ゲストハ トレー ハンガリー シャツト スペシャル ゼロ クランド オービ ミオーダー ヒュウ ドロー ディガン ほわい レッド ニュー キュラー つきだて 大化の改新 きくもん ブマリン トルコ サーキッ ローカル フォア ケヤキ フェイス ビッグ トリロジー キット 森の小人 レジン パンタロン リクル ストーリ デージ

大辺路は熊野古道のなかでも比較的新しいルートであると考えられている。確かな史料の出現は比較的遅く、近世まで待たなければならない。近世における紀州藩の交通整備に助けられて、大辺路の道路は整えられることとなった。だが、近代以降、鉄道と国道の開通に伴って古道はひとたびは忘却されたが、世界遺産の一部として再発見されるに至った。

2009年03月31日

太刀山峯右エ門

太刀山 峯右エ門(たちやま みねえもん、1877年8月15日 - 1941年4月3日)は、大相撲の第22代横綱。本名老本弥次郎。富山県富山市出身。突っ張りで一時代を築いた。身長188cm、体重150kg。

農業の傍ら製茶業を営む家の次男に生まれ、茶葉の手揉みをしていて持前の怪力により針のごとく鋭い優良品を生み出し品評会では必ず優勝したという。

兵役検査での優秀な成績が評判になり、友綱親方が欲しがったが本人は拒否したと伝わる。だが板垣退助、内務大臣西郷従道、さらには地元富山県知事らのすすめを受けて明治32年(1899年)友綱部屋へ入門。肩を痛めたり流感や脚気などで1年後の明治33年(1900年)5月場所、幕下付出として初土俵を踏む。四股名は地元の立山にちなみ、また常陸山に迫れという願いを込めて板垣退助により太刀山と命名された。

下半身の硬さに難があり、四つ相撲には向かず、徹底して突き押しを磨いた。これが功を奏して順調に強みを増したがその強さゆえに一門には太刀山と稽古できる力士が少なく師匠は敵将常陸山に「太刀山に稽古をつけて欲しい」と頼んだ所快諾され、駒ヶ嶽とともに稽古をつけてもらった。その双手突きの威力は、誰も二突きとは耐えられないという意味から、一突き半→一月半で「四十五日の鉄砲」と恐れられた。大関時代の明治43年(1910年)6月場所の3日目に小結小常陸と対戦した時など立合いの1発で桟敷まで突き飛ばし、足で桟敷を突き破ってしまった小常陸は負傷により翌日から休場し、翌場所は全休する羽目になった。この時のエピソードとして、小常陸の後援者がうまく相撲が取れなくしようと前日に太刀山に対し酒を多く飲ませ二日酔いを狙い、結果的に逆に返り討ちにされてしまったという話が伝わる(神崎という力士が芸者をあてがって太刀山を一晩寝させない策を取ったとも言われている)。8日目に平幕の八嶌山との対戦では相手が怖がって太刀山が手を出す前に土俵から逃げ出した(太刀山は前に歩いたのみで、決まり手はにらみ出しと言われた[1])などその強さを物語る逸話は多い。ある時は稽古場に当時の幕内力士全員を呼んで土俵の内側に足で1m程の丸を描き「ここから儂を押し出したら賞金10円やるぞ」(大正時代の10円は今なら数十万円にはなるか)と言ったが誰にもできなかったという。四つに組んでも呼び戻しの大技があり、その強烈さから菊人形の同名の絡繰りになぞらえて「仏壇返し」の異名があった。

一方、当時は常陸山に代表される、がっぷり四つでしのぎあう相撲が全盛であり、太刀山の瞬間で勝負をつける取り口は面白みに欠けると批判された。しかし、今になってみれば「梅・常陸時代」と、栃木山のスピード感ある近代相撲との橋渡しをした存在として、その功績は大きい。最強力士の一人と考えられながら、ヒール役になってしまったのは(常陸山に比べ)ケチだったからだとも言われる。

始めの頃は突っ張っても常陸山にうまく返されて負けていたが前頭筆頭だった明治37年(1904年)5月場所常陸山休場の隙をついて8勝1敗、現在で言う初優勝、明治38年(1905年)5月場所より小結を飛び越して関脇、明治40年(1907年)5月場所初めて常陸山に勝ちこの場所8勝1敗と2度目の優勝相当成績を挙げる。

駒ヶ嶽とは関取になる前から並び称されたが大関争いとなると太刀山の陣営には横綱は大砲と梅ヶ谷、大関も横綱級の実力者國見山と荒岩がいて上が詰まり逆に相手陣営に大関がいないことから先を越された。

横綱として [編集]
大砲と荒岩の引退により明治42年(1909年)6月場所、国技館の完成とともに大関に昇進すると4場所で横綱免許を獲得、太刀山が大関の頃までは対抗できた駒ヶ嶽もこうなるともはや相手にならなくなっていたらしい。明治43年(1910年)6月場所から明治45年(1912年)5月場所まで5場所連続優勝。30歳を超えている力士がここに来て急激に強くなったのは体重増加によるところが大きい。それまでは190cm近い身長を有しながら100kg少々だったため、軽量な上に身長が邪魔をして取り難かったのだが、体重が150kgまで到達しほぼ敵のいない状況になる。

大正2年(1913年)1月場所、大正4年(1915年)1月場所、大正5年(1916年)1月場所と全休場所が3回もあるものの、常陸山に対する引分、小常陸に対する休み(当時は相手が休むと自らも休みになる)、朝潮に対する預り(軍配は太刀山だが物言いがついた)を挟み大正5年5月場所8日目に栃木山に敗れるまで56連勝を記録。これは引分や預り、休場を挟んでのものとしては双葉山、谷風、初代梅ヶ谷に次ぐ史上4位に位置する。さらにその前にも2代西ノ海に敗れるまで43連勝を記録しており、これがなければちょうど100連勝だったことになる。後に双葉山が記録を作った際には悔しがったと伝えられる。本人は「あれは勝ちを譲ってやったのだ」と言っていたが真偽の程は不明である。

現在のものよりも小さい13尺土俵(現在は15尺)だったためもあるが、全勝を5度記録するなど、突っ張りを得意とした力士としては、その安定感は特筆される。師匠艫綱(友綱)は「古今最強の力士は幕末の陣幕、そして我が太刀山」と言ったらしい。後に双葉山が全勝8回を記録するまでは全勝最多記録保持者だった。

16代木村庄之助に勧められたため、雲龍の型を真似たとされる。双輪の綱を締め両手を広げてせりあがる、現在で言う「不知火型土俵入り」の完成者と言われているが本人は「横綱雲竜の型」と言っていたと伝わる。

大正6年(1917年)1月場所千秋楽、この場所綱取りの大関大錦との全勝対決に敗れ、大錦は横綱昇進。感極まった観客達は総立ちになり、国技館内は観客の騒ぎで前代未聞の大騒動になった。結果的にこの一戦が最後の相撲となり、その後稽古で右脚を捻挫、また稽古をつけてもらった常陸山の弟子二人に敗れた事で引き際を感じ、大正7年(1918年)1月引退。

優勝は国技館開館後9回、それ以前にも優勝に相当する成績が2回ある。幕内在位31場所、195勝27敗10分5預73休、勝率.878だが前述の通り大関昇進以後は無敵で、横綱時代に喫した黒星はわずか3(しかも与えた金星はゼロ)で勝率は9割6分6厘(84勝3敗1分1預51休)。東京相撲の横綱としては谷風を1厘上回り、1場所しか勤められなかった勝率10割の陣幕を除けば最高記録である。後に協会を離れたことで歴史的評価の面では少なからず損をしており、横綱としての純粋な強さという意味では史上最強との呼び声も少なくない。

その恐るべき怪力は400kgの砲弾も片手で持ち上げ振り回したり、釜山でロシア製500kgの弾丸を一人で運んだり、怪力話も常にケタ外れ。この怪力を活かし相手を捕まえて背中から落とす呼び戻しは仏壇返しの異名で突っ張りとともに恐れられた。

引退後 [編集]
引退後年寄・東関を襲名し独立したが勝負検査役選挙での落選を機に弟子を髙砂(元大関朝潮)に譲って大正8年(1919年)5月相撲協会を去った。前述の通り人望が不足していたためだが、晩年は巨額の富を築き趣味の富士山の絵を描きながら悠々自適の余生を過ごした。

昭和12年(1937年)2月、還暦を記念して、後援者の主催でかつての弟子から露払には元太刀ノ海の木村瀬平、太刀持には元大関太刀光の鳴戸を従えて赤い綱をしめて土俵入りを披露、還暦土俵入りの元祖とされている。

当時の力士には珍しく食事などの面から健康に気を使う人だったらしいが、還暦の土俵入りができたのはこれが功を奏したためとも思われる。晩年は大阪横綱の若嶌や、年寄立浪になった緑嶌と良い囲碁仲間で、茶飲み話に花が咲いて興が乗ると、立浪の自宅の中庭で相撲を取ることもあったという。ある時、東西合同相撲で若島と引き分けた話が出、是非あの時の決着をつけようとお互い還暦も過ぎて立ち合ったが、四つに組んだ後微動だにせず、「分けじゃ、分けじゃ、このままでええ」と呵々大笑しあった。
ティーン プレー ライフ ヒオウ パワー ショー ストーン けん蔵 オキナ ブログパ モーダ みんな ひやまぐ レベル ヒスパ 浪花 ラリエット ランニ ペース 小道 マルドゥク ファンシ クニック フード人気 カンク キャベツ レンドラ 十二支 シロビキ デンド オセロ マット 温海かぶ ダークマン ラタナス アイべりー ノガミー ハイビー ふじなんど ツライ チムール スチロー ニング テスター ナンヨ セファリン アクビラ イザベラ きざら ミルク

23歳と遅い年齢で入門したことから、以前を振り返るときには「私のような中年者が・・・」を口癖のようにしていたという。

富山市立呉羽小学校には「太刀山道場」という名前の相撲場がある。昭和15年(1940年)に太刀山自身の寄付で立てられた「相撲殿」が始まりだが、一時取り壊され後に太刀山の次女の寄付で再建されたものである。

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